10月31日 9:55ディンボジェ(4300m)出発→15:00デボチェ(3900m)到着
《三浦豪太さん遠征日記より》
ディンボチェの朝はさわやかであった。
寝袋も暖かいし、いつまでも眠っていられる。
昨日まであれほど寒かったベースキャンプが嘘のようである。シェルパによると、今年は冬が来るのが早いと言ったが、高度を下げるとまだまだ秋なのだ。
今日はゆっくりディンボチェからデボチェに降りるだけなのでゆっくりとしたくを整え出発する。
ディンボチェとデボチェ、とても似ている名前なのでややこしい。こっちの地名の最後にナムチェ、タンボチェ、デボチェ、ディンボチェ、ロブチェ等最後に「チェ」がつく地名が多い。以前、サーダーの古参のラクパテンジンさんに「チェ」の意味を聞いてみた事がある。それは昔、インドから「グル・リンポチェ」という偉いお坊さんが空を飛んできて、この地方にチベット仏教を広めたことがあるそうだ。この時、グル・リンポチェがつけた足跡に「チェ」という名前をつけたというのだ。
そういえばチェのつくところには寺院がある。僕達はいわばグル・リンポチェの足跡を追っているんだ。
今日の目的地である、デボチェはタンボチェ寺院のすぐ下にあり、元々尼寺があることで有名だ。しかし、エベレスト街道沿いでタンボチェ寺院付近に泊る人が多くなり、そこが寺院であることからトレッカーのための宿は必然的に限られてしまい、キャンプ地が飽和状態となってしまった。そこでそれまでひっそりとタンボチェの影になっていたデボチェが注目され、今ではトレッカー宿が最近立ち並んできた。
今晩泊る宿RivenDell Lodgeも最近できた宿でなんと水洗トイレ、電気、そしてWIFIまで完備している。
ここでこれまでの日記をまとめていると、ダヌルが会いに来た。何と田渕先生も降りてきているそうだ。
田渕先生はナムチェで別れて以来だ。本来、父の調子が良ければカラパタールで再会を約束していたが、そこには行けず、メッセージをシェルパに手渡してロブチェイーストのBC
直接いくようにと伝えようと思っていた。しかしそれもうまく伝わっておらず、心配していたところだった。
田渕先生はあれから5日間、マイナス15度のカラパタールの麓でエベレストの絵を描いていたという。手も筆も凍りながら、見事に作品を仕上げてきたその芸術魂に脱帽である。
夜は再会を祝った後、ゆっくり休んだ。
田淵画伯
少しずつ下山を始めていらっしゃるようです。
気をつけて帰ってきてくださいね!
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